水車製材をはじめます

真木の家を直したい

小谷村真木の真木共働学舎では、水車製材所を建設中です。真木では現在、築100年~150年ほどの木造民家4棟を住居として使っていますが、これからも住み続けるためには大きな改修が必要です。改修に必要な材木を自給するために、山の木を伐り、水の流れで水車を回し、その動力で製材することを目指しています。

きっかけは3年前、震度6弱の地震とその後の例年にない大雪により、真木に残っていた民家の一棟が倒壊したことです。それから僕たちは、今残っている家々の改修と、将来に向けたより良い活用方法を模索し始めます。

家の直し方、活かし方について考えることは同時に、自分たちがこれからどのような生き方をしたいのか考えることでもありました。そこに暮らす人々の求めた生き方、文化、歴史の表象が「家」なのだと僕が気づかされたのは、今回のプロジェクトが動きはじめて暫く経ってからでした。

僕が真木共働学舎のことを知った10年前の時点で、家はひどく傷んでいました。最も傷みの進んでいた家は、何箇所もの柱や梁が虫食いや腐れでなくなり、丸太で仮支えされていました。他の家はまだマシでしたが、いずれ同じ状態になるのは時間の問題だと思いました。

家族で真木に住んで4年経とうとしていますが、妻は真木の生活をとても気に入っています。妻は建築を志していた時期があり木造民家に興味を持っていたので、僕と同じく、余計な手が加えられていない真木の古い民家に惹かれていました。真木共働学舎の魅力は、自然豊かな場所であることや、そこに住まう個性的な面々など、幾つもの要素が相まって構成されていると思いますが、僕が真木に住むことを決めたきっかけの一つは、真木の家を直したいと思ったことでした。
 

生活を自分の手でつくる

真木集落にはかつて、12棟の民家がありました。人口も100人近い、大きな集落でした。完全離村となった真木集落を引き継ぐ形で、真木共働学舎が始まって40余年が経ちます。

集落へ至る道は今も車が通らないので、重い建築資材などは運べません。そのおかげで、真木の家々は中途半端なリフォームが行われずに済み、建てられた頃の姿にほぼ近い形で使われています。しかし、躯体が傷んでも大規模な工事ができなかった為に、傷みの進んだ家はただ朽ちていっていました。

1時間半の徒歩でしか辿り着けない場所であることが、保護と淘汰の両作用によって、時代に取り残されたような真木集落独特の雰囲気を作り出しているのでした。何故だか自分が忘れかけていた自然の道理が、真木では朽ちようとしている民家を象徴に、当たり前に横たわっているように感じたのを覚えています。

建てられてから年月の経った家が傷んでくるのは当然のこと。人が住まわず、傷みを補修できなければ、やがて朽ちてしまうのも当然のこと。木と草と土で作られた家が役目を終えて、土に還るのは自然なこと。

真木の暮らしはあまりにも不便だと思う時がありました。もっと自由に動きたくて7年前、僕は真木を出て行きました。しかし今、家族で真木に暮らし子供と過ごす中で、違う答えに気がつきました。

子供が、自分でやりたいとよく言います。本当に危ないこと以外は、大体やらせています。その方が賢い子に育つと思うからです。――真木で子供は、車に轢かれる心配なく走り回れる。森も田んぼも、どこでも歩いて良い。外でうんこしても良い。思いっきり石を投げても良い。大声で泣き続けても良い。

子供にとっては、真木のような生活が一番自由なんじゃないかと思いました。大人になっても、根っこは同じはずだと思いました。妻は二人目の子を産む時、病院で機械に囲まれながら、真木の風景を思い浮かべていたそうです。

ご飯を炊くこと、お風呂に入ること、何もかもボタン1つでできることが産まれた時から当たり前の時代です。幼い頃から感じていた、何か本質的な物事が見えなくなっている、漠然とした違和感。生活が便利であるほどに、物事の仕組みが見えなくなっていく不自由感。時代に合わせて変えて良いことと、変えてはいけないことが、現代の生活では見失われている場面が多いと感じます。自分の力で出来ることが少なすぎて、本当は出来るということさえ忘れそうになります。

真木共働学舎には帰ってくる人も、新たな目標を見つけて旅立つ人もいます。真木に来る若い人たちは、自分の生活は自分の手で作り出せることを、思い出したくて来るんじゃないかと思いました。

なぜ水車なのか

真木の住人で、これからどうするべきかを沢山話しました。 なぜ水車なのか。なぜ伝統構法なのか。そもそも傷んだ家を直す必要があるのか、直すとしてももっと簡単な方法で良いのではないか。製材には既製のエンジン式の機械を買えば良いのではないか、または小水力で発電して、電気で動かせば良いのではないか。手間のかかる伝統構法ではなく、もっと簡易的な方法で補強すれば良いのではないか、など。今思えば、それらの問いのどれもが、現代の一般的な価値観から出た素直な疑問でした。もっと安く、もっと楽に、壊れたものは新しく。

真木の住人達で話し合う過程で、少しずつ、それまで自分たちが当たり前だと思っていた一般社会の価値観が、共働学舎の理念とはズレていることに気づきました。物を簡単に捨てられる社会が、人間を大切にできるか?ただ家が直れば良いのではない、と感じました。

急激な経済発展の時代、家と田畑はそのままに真木集落では住人がいなくなりました。変化していく社会に取り残されまいと、生きていくためにたとえ望まざるとも、住み継いできた土地を離れなければなりませんでした。おそらく同時期に、日本各地で同じことが起こっていたのだろうと思います。

かつての住人たちは真木を離れる時、集落の周囲に木を植えていきました。昔は水田や茅場だった場所に、今では無数の杉の木が大きく成長しています。

木造民家は、少しの技術と材木があれば多少の傷みなら自分で直せます。真木集落は山に囲まれています。近くを川が流れ、集落内にも水路があります。真木で製材ができれば、近くの木を伐って建物の補修に必要な材を確保できます。本来であれば、木と土と草で出来た家は、必要な材料の全てを近場で揃えられるはずなのです。

真木集落で最も古いとされていた家の倒壊をきっかけに、「アラヤシキに水車をまわすプロジェクト」は始まりました。今に至る幾つもの出来事はまるで、何かに導かれているようにも感じます。大工の小野田健さんをはじめ、協力してくださる多くの方々と出会い、支えられ、少しずつですが着実に進んでいます。皆、真木の生活に可能性を感じています。

答えは一つではない

社会を包む大きな矛盾に気づいた時、しかし一人では何をすれば解決できるのかわからない。どこかで何かがずれている、本来あるべき姿ではないはずなのに、履き違えたままでなぜか進んでしまっている。元をたどれば、一つではない原因は絡み合いながら形を変え、もはや解きほぐすのは不可能にも思える。歴史にも、真木にも、気づかぬうちに入り込んでいた。そして、自分の内にも。

僕たちは昔の生活に憧れているわけではない。人も暮らしも環境も犠牲にしない、より良い未来を生きたい。自分たちが今、大きな流れのどの地点にいるのかはっきり認識した上で、最も良い方法が何かを考えたい。過去を否定するだけではいけないと思う。正解は誰も教えてくれなかった。答えは一つではないから、自分で考えなくては、始まらないと思った。

どこかで途切れてしまった糸を、もう一度つなぎ直すために。
どこかでずれてしまった歯車を、もう一度まわすために。
真木ではまず、水車製材をはじめます。


真木共働学舎 伊藤真弥
~2018年2月『たぁくらたぁ』44号掲載文章より~